Discipline & Letting Go

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最近、トレーニングに集中している中で、気づいたことがある。
Discipline (自己鍛錬・訓練)か、Letting Go(解放・手放す)か、
ということに関して。

きっと、今更気づくまでもなく、経験を積んだダンサーにとっては、
ものすごく根本的なことなんだろうけれど。忘れないように、メモ書き。

今やっている、いわゆるクラッシックなダンストレーニングを始める以前、
5リズムやコンタクト・インプロビゼーションなどの解放系ダンスが好きで、

そこからクラッシック・ダンスの基礎鍛錬を始めてからは、
それまでの解放系とは全く正反対のことをやっているように思えた。
制御する、コントロールすることを身体に覚えさせることから入るので。

ダンスというか、いわゆる身体ムーブメントに関わる
「身体能力を培っていく」という意味合いの上で、この2つは、
対極にあるのだと思っていた。

つまり、どちらかのエネルギーを増やしていくと、反比例して
もう片方のエネルギーは減っていく、というような感覚だった。

それが最近になって、練習を積む中で、
どうやら対極にあるのではないらしい・・・ということが判明してきた。

Disciplineと、Letting Goという2つのことは、比例作用し合っていて、
身体が鍛錬されればされるほど、それに比例して、
身体を解放するための身体能力も、高まっていくのだと、今は思う。

鍛錬がある一定のレベルに到達すると、
踊るために使う、あらゆる筋肉の動作記憶が定着してくる。

例えば足先はフレックスなのか、ポアントなのかといったら、
両者の境界線はとても明確で、“フレックスとポアントのあいだ・・・”
のようなあいまいな動きは存在しない。
ダンサーは、自信を持ってフレックスをするか、自信をもってポアントをするか
そのどちらかで、“どちらでもない曖昧な動き”というのは、しなくなってくる。
故意の振付などではない限り。

グラハム・テクニックの「Contraction (収縮)& Release(弛緩)」
で言えば、収縮か、弛緩かのどちらか、動きは明確で、
身体の隅々まで行き渡る、脳からの指令内容はクリア。

両極端な動きの、その両端の先と先を、先の先まで、
どこまで身体が知ることができているかという意味で、ジャンルを問わず、
ダンサーを見れば、どれだけトレーニングを積んだ人かはわかる。

もちろんパフォーマンスを目的としないダンス、
心身の解放などを目的としたメディテーションダンスの中では、
ダンサーが“どちらでもない曖昧な動き”をすることはある。

そこで、両極端な動きの振り幅が広い身体と、
あまり広くない身体とでは、解放のエネルギー量も変わってくるように思う。

心(感情)と、頭(脳・思考)と身体のコネクションがしっかりすればするほど、
思考や感情を解放しつつ、身体を安定させて動かすことができるし、
身体の軸が安定することで、ダイナミックな動きや、解放が起こってくる。

心と身体は、ひとつの大きな輪のようにつながっていて、
その輪をぐるぐると流れるエネルギーが、どちらにも色々なことを教えてくれる。

身体が先に気づくこともあるし、心が先に気づくこともある。

私にとって、今ここでやっているトレーニングは、
この感覚を得るため、この確かな安定感を身体で得るために、
必要不可欠なトレーニングになっているのだなぁーと、思う。


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