不要なプライドを手放すと、あっけなく幸せになる

先日、とあるセッションを受けて、しばらく経ってから、
自分のプライドの高さドン引きする、、、体験をした。

え、私って、、、、、

未だにこんなにプライド(虚栄心)の塊だったとな??!

ひくわーーーーー。

となってしまった(沼底までどーん)

なぜそんなことに気づいてしまったかと言えば、

未来について相談するセッションを受けたつもりが、
未来の話はびっくりするくらい何ひとつ話にならなくて、

1時間半ずっと
『YURIAさんはね、<何かをなさねば自分には価値がない>
って信念が根底にあるから、それ違うから、
それを手放さない限り、何をやっても、自分が苦しくなるだけだよ』

という同じ内容を、表現を変えて、ひたすらずーーっと言われただけで、
セッションが終わってしまい。

あれ、このこと聞くためだけに、高いお金払ったんだっけ・・・。
と暫しボーゼン。

残念ながら、それが事実だったようだ。

『YURIAさん、何も聞きたくない!って顔してるからさー』
と明るく言われて、イライライライラ。。。。

人って、一番聞きたくないことだけは、何万回耳元で大声で言われても、
完全スルーで聞かない!!ってことができるくらい、
無駄に性能の良いコントロールスイッチが使えるときがある。
普通にこわいわ・・・。

そう、ヒトの人生に最も大きな影響を与えるのは、
他の誰の言葉や考えでもない、
そのひと本人が持っている自我のコア・ビリーフ

知っているはずなのに、
自分のことになると、何故こんなに盲目になるのか?

仕事ができる自分
何かができる自分
〇〇が秀でている自分
には価値があると信じるが、

何かをしていないと、
人にきちんと説明できる何かをしていないと、
人に良い影響を与えて、たいそうなことを成し遂げないと、
価値がない

と信じていて、

仕事で必死に成果を出して、
一時的に心の安定を得るけど

会社の肩書きをとった
個人としての素の自分は、
何もしていないし、
何の実績もないし、
何の影響力もない、
劣等感で常にズタズタの、
自信のない小さな人間、
と、よーーく知っているから

私のエゴは、何とかして価値を確認したい。

ほんとうの自分は
こんなもんじゃないはず(←謎のすごいプライド)

ほんとうの自分は、
もっと素晴らしいはずで(←必死)
人に影響を与えられる(←影響、影響しつこい)
価値のある人間のはず。

何かなさねば、価値がない
→だから、何かしなければーーー!!(呆れ)

もうね、本当に。
全部、壮大な勘違い。

ただ生きているだけ。

ただ起きて、食べて、
心地よい部屋で
心地よいものに囲まれて。
授乳して、おむつを変えて。

その他は特に何もしていなくて、
毎日ただ生きている
それだけで、こんなに自分が尊い。

自分が本当に無条件で尊い存在だという事実、
心底から受け入れる気があるんですか?ないんですか?
どっちですか、という話。

ただ幸せになること
簡単に、あまりにもあっけなく幸せになることは、
マインドのシフトひとつで、
一瞬で可能なことを、強烈に再認識。

笑うしかないレベルの、虚栄心のせいでこれまで、
沢山の愛を跳ね返してきてしまった(実に、もったいない)

虚栄と自己欺瞞の数々は、
最初は、痛みから身を守るために手に入れたものでも、
表面を取り繕うやり方に、どんどん慣れ過ぎていき、
自我の根底にある、コア・ビリーフに無自覚なままで。

<私には価値がない/器がない>という信念が、
【どうせ、私はこの程度です】
という現実を創り続けている
意識のカラクリに、いい加減、気づこうね。

完全に忘れていた、5年も前に書いたブログ↓
を5年越しで読み返したら、それこそ笑うしかなかった。

自分が自分に隠している本音にどこまで直面できるか。

気づくことができたときに初めて、
人はその外側に出て、それを笑い飛ばすことができる。



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