ウザい感じのしたり顔で。でも語りたいこと。

さっき昨日の記事見返したら、何か思ったほどノロケてはいなかった件。

しかしこれからしばらくの間、毎度相方の話題が登場するなどして、
たいがい自分語りがウザい感じのブログになっていくことが予想され。

シンガポールと一切関係ねぇだろ、という突っ込みは
もはや最初からスルーされているのです。

関係ある点といえば、くだんのパートナーがシンガポール人だということくらいですが
その点にしたって、パートナーシップの本質に、人種はほとんど関係ないと思うのです。

国籍・人種が違うことで、ちょっとした苦労はあるものの、
それも楽しみのひとつだと思えば、北海道の人と沖縄の人がつき合ったくらいの違いと
きっとそんなに変わらないでしょう。

この地球上で縁があって出会う人というのは、本当に面白いほど鏡となって、
全身ミラーで目の前に現れてくれるものです。

何もかも正反対、共通点なんか一個たりともない!!!1個でもあったら言ってみろ!!
と言いたくなる相手ですらも、そんな自分の知らない何かを映し出しているという不思議。

男女関係・夫婦関係・家族関係・ビジネスの人間関係、色々なパートナーシップ。
相手との距離が近づけば近づくほど、表面の反射だけでは見えなかった、
中身まで・・見えるようになってくるわけです。(・・見たくねー)

あらゆる点で正反対のアプローチを取りながら、本質的には同じ課題を抱えている2人。
私自身と相方にしても、陰陽のバランスなのか?こう言えばああ言う、全部反対。

依存と自立。
ポジティブとネガティブ。
消極的、積極的。
楽観的、悲観的。
被害者のストーリー。加害者のストーリー。
感情的、論理的。
正しい、間違っている。

一方がどっちかにはまり込むと、自動的にもう一方は反対の役割を演じることが多く、
ぐるぐると立場を逆転させながら、2人してシュールでおかしな演劇に興じています。

役割にはまる原因のひとつには、単純にそのほうがラク、慣れている、というのと、
相手と「近づきすぎることへの怖れ」があるかなーと思います。

どんなにオシドリ夫婦のように仲良さげに見えるカップルでも、
相手との境界線が、溶けてなくなるくらいの限界まで近い距離に近づいても平気だ、
とお互い自覚して、そこまで飛び込んでいるようなカップルはきっと多くないでしょう。

「人と人との間には距離があるのが当たり前で、ある程度の距離を保つのは健全なことだ」
これには地球上の大半の人が同意すると思います。

私も社会生活を送るうえで、それはそうだろうと思う。
しかし一方では、100%対等に自立した者同士が、健全かつ安全なやり方で、
体験したことのないくらい深いレベルで、つながることも可能だ、とも思っています。

パートナーとの間に生じる軋轢はすべて、些細なことから大きな葛藤まで、
自分と相手がこれ以上近づかないように、離れた状態を保つための理由づけとして
お互いが無意識に引き起こしているドラマに過ぎないんですね。

何年も何年も、毎晩同じベッドで眠っても、圧倒的に縮まらない距離、
というのがあるのはなぜか?

それは、覚えていないだけで、自分が決めたことだから。

境界線を引いて引きこもっているのは、ある程度心地良いですが、
そのパートナーが精神的な助けを必要としているとき、
または自分たちの子どもや他の誰かが2人を必要としていて、
一緒に協力しなければいけないとき、その分離感が邪魔をします。

パートナーはいつも助けを必要としている、そのことに本気で気づいて、
関係性が根本から変わりました。

おちゃらけキャラでいつも平気を装っていたり、何もかも1人で大丈夫、
なるべくほっといてほしい。そういう相手でも、本人すら自覚していない
内側の声があり、それは今よりずっと「近づかないと」聞こえない声でもあると思う。


来月、人生2度目の日本訪問に浮かれ気味の相方と、旅の計画が楽しい今日この頃。

日本で、絶対1回は大喧嘩するだろなー。
でも今までで一番楽しい旅になりそう。

とにかく楽しみ!

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